悔いが残ること
ブログなかなか更新できずにいましたが、
ぽっかりと時間が空きました。
祖父が亡くなったのです。
九十六歳であったので、天寿を全うしたのだと思います。
祖父の顔はまるで眠っているように安らかなもので、
全く苦しむことなく、すべての体の機能がゆっくりとスイッチを切ったような
本当に穏やかな姿であったのがせめてもの慰めです。
私の中では精一杯頑張ってきたはずですが、
今となってみると、やはり悔いが残ります。
父も亡くなってから私が祖父を面倒見てきましたが、
特に最期に側にいてあげられなかったことを悔やんでいます。
父が急逝してから九年もの間、基本的には自力で生活し、
私の前では飽くまでも頼りがいのある祖父を演じたがっていました。
戦地にも赴き、その後も戦後の動乱期を生き抜き、
自分の子供二人にも先立たれた祖父の人生は、
私の目から見ても過酷なものだったと思います。
人はどんなふうに生きるかは選択できても、
どんな人生かは選択できないものなのでしょう。
起こり得ることすべてがわかっていたら、
到底乗り越えられない人生でも、
目の前にあるものをひとつひとつ乗り越えることで、
最期には人生を全うできるのではないでしょうか。
唯一、私が祖父に対して胸を張って良いことをしたと思えるのは、
私の子供、祖父にとっては曾孫と一緒に過ごす時間を与えてあげたこと。
気性が激しい私の祖父に、のんびり屋のうちの子供は
一切口答えすることなく祖父に付き合っていました。
祖父の周囲の何人もの方から、よく曾孫を自慢していたという話を
お葬式の時に聞きました。父が亡くなった後も、うちの子供が
随分祖父の慰めになっていたのではないでしょうか・・・。
人間は動物だから誰にでもいつかは死が訪れます。
人が死ぬとその存在は目の前から消えてしまいます。
存在が消えてしまったその後に残るのは、
その人の思い出だけかもしれません。
死者を悼む様々な儀式がどの宗教にもありますが、
死者への一番大事な気持ちはその人を思い出すこと、
その人と共有した時間を忘れないことだと思うのです。
それこそが常に消えゆく運命にある人間の
生きたという人生の証なのではないでしょうか。








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